Thu. May 7th, 2026

December 18, 2025

パンダは語る!(2)

パンダが日本に招かれてから50年以上の期間に渡って飼育展示されてきました。まさに客寄せパンダであり、観光資源としての役割を担ってきました。その総数は40頭近くになりますが、個々のパンダがいた期間は10年ほどでありました。 パンダが初来日した1972年はパンダブームが起こり、その後も日中両国の記念行事などを経てパンダは徐々に日本社会に溶け込んでいきました。パンダの出産などが社会的な出来事として報道されることで人々の青春の1ページとして記憶されていったのです。 国宝としてのパンダ 日中戦争のさなか、蔣介石率いる中華民国は首都の南京を失った後、中国南西部の重慶に撤退して日本軍への抵抗を続けていました。蔣介石は日本軍に勝つためには国際社会を巻き込むことが必要だと考えアメリカの支援を得るために送ったプレゼントがパンダでした。 パンダ外交を発明した国民党は、第二次世界大戦後、中国共産党との内戦に敗れ台湾に撤退します。パンダは捕獲の難しい動物だったため、パンダの管理は中国共産党政権が引き継ぐことになりました。 <宇都宮健太郎 著、語るパンダ、朝日新聞社出版>

もうクマったな~(2)

北海道の開拓は1869年、明治政府が「開拓使」を設置して始まります。ヒグマの縄張りである森林を伐採して農地や牧場にするので当然ヒグマによる人身事故も発生します。 当時、北海道に住んでいたアイヌの人々は外出時に刃物や鹿角を持って音を出し、ヒグマの気分を損ねないようにしていたそうです。 アイヌの人々は、神を善益をもたらすピリカカムイと不幸をもたらすウェンカムイに分類しました。アイヌと神の世界は、天界、地上界、地界とから成り、生活している自分自身と神が扮装する動植物、神の霊魂が宿る岩、川に分かれていました。 天界の最上層には、天津神(カント・コロ・カムイ)がいるとされ、雨、雷、雪などは天津神の御業とされました。 地界の最下層、第六層は地獄とされ、悪神、ウェンカムイのいるところであり、祟りや病魔などを伴て襲い掛かってくるのだとされました。 アイヌの人々はヒグマを山の神だと考え、山奥にある天界では人間と同様の姿で同様の生活をしており、人里に降りてくるときは、天界の黒い羽織を着ている為、人間の眼には真っ黒な獣の姿に写っていると考えていたそうです。