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歴史

そろり~そろり~(2)

そんな狂言ですが、戦後、時代の変化と学術・芸術的な再評価により、狂言はようやく日の目を見ることができました。 狂言の演技は、立ち姿、基本の歩き方、ほとんど全ての動きに型があります。笑う場合も、大きな笑い、、中くらいの笑い、小さな笑いなど、身体の角度から声の出し方まで型が決まっています。リアルな表現でなく、型のくっきりした動きの積み重ねが芸術になっていくのです。 能楽堂に一歩足を踏み入れると、大きな屋根の付いた能舞台が目に入るでしょう。これはかつて能舞台が野外に建てられていた事から来ています。 客席も普段の劇場とは違い、舞台を取り囲むようにして三つのエリアに分かれています。「正面見所」と呼ばれるエリアからは、演者の顔の表情がよく見えますが前後の動きはよく見えません。「中面見所」は舞台を斜めから見る事になるので、全体をバランスよく見ることができ、立体的に舞台空間を楽しめる事ができます。 行かれた事がある方も、久々な方も一度狂言を見に足を運んでみてはいかがでしょうか?修行を積んできた名人たちの卓越した芸を、ジャンルを超えた新たな挑戦をぜひ劇場で!

そろり~そろり~(1)

狂言をご存知ですか?私がうそぶいている記事のことではなく…汗。伝統芸能の事にございます。筆者も学生の頃に学校の催しで一回行ったきりですが、あの頃はよくわからずにボケっと見ていただけでした。つぶさに見て参りましょう。 現在では狂言だけの催しもしばしばありますが、もともと能と狂言は同じ芸能から発生し、セットで上演されるものでありました。 ルーツは奈良時代に中国から伝わった「散楽」で、当時は曲芸、奇術など大衆芸能全般を指しておりました。平安時代になると「猿楽」と呼ばれ、滑稽な物まね芸が中心になってきます。 能は音楽性と物語性を重視していく型が発展しやがて観阿弥・世阿弥の登場により大成しました。狂言はその陰に隠れ、従属的な存在となっていきました。 運よく徳川幕府で猿楽が武家の式楽に定められ、政府のお抱えとなる事が出来ましたが、明治維新により猿楽師はまた生活に困るようになりました。明治政府は能が外交に相応しいと考え、呼び方も「猿楽」ではなく「能楽」に改めました。

フラフラと散歩に行くと思う事

日本の伝統的な家屋はなぜ今の形になったのでしょう。気にしたことはありますか? 六世紀の終わり、仏教建築が伝来するまでの日本の建築様式は柱を土の上に立て、床を高く張り、屋根は草ぶきで木に着色をしない形のものでした。 一方の仏教建築では柱を碇石に立て、柱に組み物を置き、屋根には瓦を、木部には彩色を施し、軒をそらせ、飾り金具を使った華やかなものだったといいます。 中国から伝わった建築様式は八世紀ごろまで影響がつづき、これがその後の日本建築の基本的な様式となりました。 中国からの影響をうけてきた建築ですが、様式そのものについては長い時間をかけて、日本的な感覚による取捨選択がされました。生活に便利なように新たな要素も加わっていきました。そうやって日本の家屋は独自の発展を遂げてきたといえるでしょう。 <引用:太田博太郎 著、奈良の寺々、吉川弘文館 >