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福祉

赤十字が彼方に光るとき(2)

「日本赤十字社カ此ノ如ク速二進歩セルモノハ、国民カ皇室ノ威徳ニ則リテ之ヲ拡充セント欲スルノ力、頗ル多キニ居レリ」 という日本赤十字社の言葉のように、発足してから日清戦争までの間、日本赤十字社は4万人の社員を抱えるまで成長していったのです。 自然災害の多い日本では、近代国家の成立以降、災害愛国主義ともいうべき社会現象が多くみられました。郷土愛や愛国主義は自然災害に際しての救護や援助に直接結びつきました。 日本赤十字社が最初に行った救護活動も戦時ではなく、自然災害に対する救護でした。世界には数多くの赤十字社がありますが、世界で初めて災害援助をしたのが日本赤十字社でありました。 1901年、赤十字社とジュネーブ条約を提唱したアンリ・デュナンは第一回ノーベル平和賞を受賞します。「来るべき危険が何であるかを理解し、文明社会が抱える問題に直面しながらも諸国間の平和と友好に尽くしてきた」 彼の意志を継承し人道的な、慈愛に満ちた社会になって行くことを望んでやみません。 <引用: 小菅信子 著、日本赤十字社と皇室、吉川弘文館>

赤十字が彼方に光るとき(1)

先日、青森県を震源とする地震がありましたが、こうした震災発生時に人道支援や救助活動をしてくださる日本赤十字社。どういったものなのでしょうかご存じですか? 19世紀半ば以降、通信技術の進歩とジャーナリズムの発達を端として、戦勝と市民の距離が近くなりました。戦場ジャーナリストが活躍し始めるのもこの頃からだったと言われます。痛ましい戦場の様相はその翌日には新聞に載り、各家庭の食卓を賑やかにしました。こんなに兵士が戦場で苦しんでいるのに、放置せずに救って上げるべきだという声がでたのです。 負傷兵の置かれた悲惨な状況を目の当たりにしたアンリ・デュナンは、1864年に赤十字を作り、赤十字条約を提唱しました。 欧米列強との不平等条約の改定を目指し、文明国になる事を悲願した日本は西洋文明を取り入れていきました。そのうちの一つが戦場における人道主義の受容、赤十字運動だったのです。 1887年、赤十字条約加盟から一年後日本赤十字社の発足を巡って、初代佐野常民社長が昭憲皇太后にお目にかかられ、社章をどのようにしたらよいか迷っていると申し上げました。皇太后はかんざしをお示しになり、模様の桐竹鳳凰を使ったらよかろうと仰せになられました。 桐、竹、鳳凰の文様は古来より、高貴・瑞祥の印として用いられてきました。日本赤十字社に対する皇室の支持で赤十字は日本で発展を遂げる事が出来たのであります。