Thu. May 14th, 2026

芸能

そろり~そろり~(2)

そんな狂言ですが、戦後、時代の変化と学術・芸術的な再評価により、狂言はようやく日の目を見ることができました。 狂言の演技は、立ち姿、基本の歩き方、ほとんど全ての動きに型があります。笑う場合も、大きな笑い、、中くらいの笑い、小さな笑いなど、身体の角度から声の出し方まで型が決まっています。リアルな表現でなく、型のくっきりした動きの積み重ねが芸術になっていくのです。 能楽堂に一歩足を踏み入れると、大きな屋根の付いた能舞台が目に入るでしょう。これはかつて能舞台が野外に建てられていた事から来ています。 客席も普段の劇場とは違い、舞台を取り囲むようにして三つのエリアに分かれています。「正面見所」と呼ばれるエリアからは、演者の顔の表情がよく見えますが前後の動きはよく見えません。「中面見所」は舞台を斜めから見る事になるので、全体をバランスよく見ることができ、立体的に舞台空間を楽しめる事ができます。 行かれた事がある方も、久々な方も一度狂言を見に足を運んでみてはいかがでしょうか?修行を積んできた名人たちの卓越した芸を、ジャンルを超えた新たな挑戦をぜひ劇場で!

そろり~そろり~(1)

狂言をご存知ですか?私がうそぶいている記事のことではなく…汗。伝統芸能の事にございます。筆者も学生の頃に学校の催しで一回行ったきりですが、あの頃はよくわからずにボケっと見ていただけでした。つぶさに見て参りましょう。 現在では狂言だけの催しもしばしばありますが、もともと能と狂言は同じ芸能から発生し、セットで上演されるものでありました。 ルーツは奈良時代に中国から伝わった「散楽」で、当時は曲芸、奇術など大衆芸能全般を指しておりました。平安時代になると「猿楽」と呼ばれ、滑稽な物まね芸が中心になってきます。 能は音楽性と物語性を重視していく型が発展しやがて観阿弥・世阿弥の登場により大成しました。狂言はその陰に隠れ、従属的な存在となっていきました。 運よく徳川幕府で猿楽が武家の式楽に定められ、政府のお抱えとなる事が出来ましたが、明治維新により猿楽師はまた生活に困るようになりました。明治政府は能が外交に相応しいと考え、呼び方も「猿楽」ではなく「能楽」に改めました。

よってらっしゃい、見てらっしゃい(4)

家来はさんまを焼いていた者に小判を渡してさんまを譲り受けます。ふだん鯛ばかり食べている殿様は黒々として脂ぎったさんまを見て不安になりますが、箸をつけて見るとすっかり気に入ってしましました。完食してしまった殿様だったのですが、庶民が食べる下魚を殿様に食べさせたとあっては外聞が悪いので、家来はこの件を口外しないように殿様を言い含めます。 屋敷に帰った殿様はさんまの味が忘れられず、また食べたいと願いましたが、家来に忠告されているのでさんまの事は口にできません。 そんなある日、殿様は他の大名に客人として招かれます。先方が「なんでもご希望のものをこしらえましょう」というので、喜んだ殿様はさんまを注文しました。大名のお抱えの板前は上等な魚しか料理したことがなく、「さんま」といわれて驚きましたが、失礼があってはならないと日本橋から極上のさんまを取り寄せました。 殿様は待ちに待ったさんまを食べれると喜びましたが、綺麗に処理されているので以前に食べた時のようにおいしいと感じませんでした。殿様が「このさんま、どこより仕入れた」と聞くので、「日本橋でございます」と返答しました。それに対して殿様は大真面目な口調で「それはいかん、さんまは目黒に限る」と言ったそうです。 これは当時の大名が庶民の暮らしを知らず、珍しくもない目黒のさんまを高級品だと思い込んでしまったという話でした。そこには現代社会にも通じるものが江戸時代にもありました。

よってらっしゃい、見てらっしゃい(3)

箸を持った若旦那は「この香りが目鼻につーんと来るところが何とも言えない贅沢」と吐き気を抑えながら腐った豆腐を口に入れました。江戸っ子から「これは何という食べ物ですか」と聞かれると、「これは珍しい酢豆腐といいやす」と若旦那は答えました。 「そんなに妙味ならもっと召し上がってください。」と勧めましたが、「これは一口に限るものでげす。私のような通が食べれば酢豆腐と言うが、あなた方が食べればただの腐った豆腐でゲス」と答えましたとさ。 目黒のさんま 秋の日、ある殿様が馬で目黒まで遠出をしました。元気を持て余した殿様は家来と山まで競争しますが、すっかりお腹を空かせてしまします。弁当の準備をしていない家来はすっかり困ってしまいます。そうこうしているうちにさんまを焼く匂いが漂てきました。 殿様が「この匂いは何であるか」と問われました。家来は「さんまの匂いでございます。」と答えましたが、上等な魚しか食べたことのない殿様はさんまなど知りません。家来は「下魚にございまして、お口に合わないと存じます」と説明します。が、空腹に耐えかえた殿様はさんまを持ってくるように命じました。

よってらっしゃい、見てらっしゃい(2)

江戸っ子のひとりが昨日の豆腐が残りがあったことを思い出し、与太郎に聞いてみると、窯の中にしまっておいたと言います。暑い中、一晩中窯の中に置かれた豆腐は見事に腐っていて酸っぱい匂いがしてきます。 捨てるしかないと諦めたところに、町の若旦那が通りかかります、この若旦那は二枚目気取りのキザな男で江戸っ子からは嫌われておりました。そこでこの嫌われ者に腐った豆腐を食べさせよう二江戸っ子たちは画策します。 呼び止められた若旦那は「どうも、美男子のお揃いで」と招きに応じます。江戸っ子たちは「大した女泣かせだ」といって若旦那をおだてて、いい物を貰ったと腐った豆腐を見せます。 若旦那は知らないと言えずに「これは私のような通が食べる物だ」と答えました。「でしたら差し上げましょう」という事になりましたが、食べたくない若旦那は「持ち帰って晩酌の肴に」と逃げようとします。江戸っ子たちはそれではいけないと若旦那はを引き留め、とうとうその場で食べてもらうことに成功します。

よってらっしゃい、見てらっしゃい(1)

最近めっきり若者に人気がない落語ですが、面白いお話を紹介していきたいと思います。 落語には滑稽な笑い話があれば、人情噺、怪談もあります。伝統的な古典落語の多くは江戸時代に成立し上方と江戸の両方で発展してきました。学校で習ってきた歴史ではわからない庶民の生活を知れるのも醍醐味だと言えるでしょう。 初期の落語は道端で演じられたため、辻囃とも呼ばれました。やがて芝居小屋や風呂屋、料亭などで演じられるようになりましたが、専門の演劇場が誕生したのは江戸の後期になります。昭和になり、戦時色が強くなると落語を中心に数多くの囃が上演を禁じられます。戦後復活した落語はテレビの放送とともに再び多くの落語家によって語り継がれるようになったのでした。 酢豆腐 夏の暑い日に江戸っ子たちが集まって酒を飲もうという話になりました。お酒はどうにかなりましたが、肴がありません。古い漬物を探し出し、刻んで水にさらせば良いおつまみになるという提案が出ましたが、臭い桶に誰が手を突っ込むかでまた一悶着になります。